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zoom RSS 小沢一郎の公開書簡

<<   作成日時 : 2007/11/09 23:36   >>

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※- 小沢一郎の公開書簡  ( 小沢一郎 HPから )

今こそ国際安全保障の原則確立を 川端清隆氏 へ の手紙
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国連本部政治局政務官 川端清隆様

先日、「テロ特措法と国連安保理決議」と題する月刊誌『世界』への寄稿文を拝読しました。そこで述べられている、日本外交の「ねじれ」の検証について、また私の主張に対する貴方の指摘について、私の見解を申し上げます。

まず、貴方の指摘する、日本の国連中心主義と日米同盟の「ねじれ」について先に結論を申し上げると、私は、日本のやり方次第で「ねじれ」は解消できると考えます。

貴方も多くの日本人も、現実問題として最終的にどちらを取るのかという議論の中で、日米同盟は何としても維持しないといけない、という結論を導き出しています。

しかし私は、国連中心主義と日米同盟は全く矛盾しない、むしろそれを両立させることによって日本の安全が保障されると主張しています。


現実に、米国はもはや、一国で世界の平和維持、すなわち国際社会の警察官の役割を果たすことが不可能になっています。

今日のアフガニスタンやイラクの実態は、その結果にほかなりません。米国のブッシュ大統領は、「これは米国の戦争、自衛戦争だ。

したがって国連の決議はいらない」と啖呵を切ってアフガン戦争を始めました。

しかし実際には、当然ながら、米国単独では治められず、国際社会に助けを求めているのが現実ではないでしょうか。


結局、日本国憲法の理念の通り、それはとりもなおさず国連憲章の理念の通り、世界の平和は国際社会みんなで力を合わせて守っていく以外に、論理的にも現実的にも他に方法がありません。

今日の国際社会の混迷はそのことを、明確に示していると思います。

湾岸戦争のような侵略の排除であれ、テロリズムとの戦いであれ、同じことです。


ところが、米国は自分自身の孤立主義と過度の自負心が常に、国連はじめ国際社会の調和を乱していることに気が付いていません。

本当に日本が米国の同盟国であるなら(その他の同盟諸国も同じですが)、米国にきちんと国際社会の重要な一員として振る舞うよう忠告すべきです。

そのためには、日本自身が世界の平和を守るために率先してあらゆる努力をし、平和維持の責任をシェアする覚悟が不可欠です。


私はずっと以前から、そのことを機会のあるたびに国民に言い続けてきました。

特に湾岸戦争では、私はそれを強く主張しました。

しかし、当時、自民党幹事長だった私も、一人の少数派に過ぎませんでした。

今も日本では、あるいは日本人がそれだけの自覚と時代認識を持っているかと言えば、全く不十分のままだと思います。


いずれにしろ、俗に言う国連中心主義か日米同盟かという問題は、国際社会の平和維持に対する日本人自身の覚悟次第で解消できることです。

また、それを両立させることが、本来あるべき日米同盟関係を築き上げることになると、私は確信しています。

次に、我が国の安全保障の原則について私の見解を申し上げます。


我が国では戦後ずっと、日本国憲法の解釈、特に第9条の解釈について、いろいろな意見があり、それが安全保障政策の最大の問題になってきました。

今なおそうです。したがって、最初に私の憲法解釈を軸に申し上げ、貴方の言う私の発言の「問題点」に即して順次見解を申し上げます。

第一の問題として取り上げているテロリズムとの戦いについては、日本がテロとの戦いに参加しないなどとは、私は一度も言っておりません。

我が国はかつて、何度もテロに屈して、死刑囚を含む犯罪人の釈放と身代金の支払いに応じたことがあるのです。

日本赤軍による日航機ハイジャック事件は、貴方もご記憶しているでしょう。

世界中で、そのように屈服した国は他にありません。それだけに日本人は、決然としてテロと戦う決意と態度を持たなければなりません。


しかしそれは、無原則に我が国の軍隊を海外へ派兵することではありません。

言うまでもなく、日本国憲法第9条は国権の発動たる武力の行使を禁じています。

国際紛争を解決する手段として、自衛権の発動、つまり武力の行使は許されないということです。

したがって我々は、自衛権の行使(武力の行使)は我が国が直接攻撃を受けた場合、あるいは我が国周辺の事態で放置すれば日本が攻撃を受ける恐れがあるという場合に限定される、と解釈しています。


しかし、一方において日本国憲法は、世界の平和を希求し、国際社会で名誉ある地位を占めたいと、平和原則を高らかに謳っています。

そのためには、国連を中心とした平和活動に積極的に参加しなければなりません。それが憲法の理念に適うものだ、と私は考えています。


ここからちょっと憲法論に入ります。

自民党政府(内閣法制局)は今も、国連の活動も日本の集団的自衛権の行使に当たると解釈し、したがって国連憲章第7章第42条に基づく武力の行使(PKO、国連の認める多国籍軍等を含む)に参加することは憲法第9条に違反する、という解釈を続けています。

では、それならなぜ、アフガンで「不朽の自由作戦」を主導する米軍を自衛隊が支援できるのでしょうか?

集団的自衛権の行使を、ほぼ無制限に認めない限り、日本が支援できるはずがないのです。

実際、カナダ、オーストラリアなどもその作戦に参加していますけれども、日本以外の参加国はほとんど集団的自衛権の行使として米軍に協力しています。


ところが、日本政府は今も、集団的自衛権の行使は憲法上できないと主張しています。

貴方も思い起こして下さい。湾岸戦争の時、自民党幹事長だった私は、戦闘部隊を送る必要はないけれども、せめて後方の野戦病院や、あるいは補給艦による物資の輸送などはできるではないか、と強く主張しましたが、内閣法制局も各省の当局者も反対しました。

その時の憲法解釈は、国連活動の後方支援であっても、武力の行使と一体のものだ、だから、それに参加することは憲法第9条に抵触する、という論理でした。


後方支援すなわち兵站線こそ、戦争の行方を決する最大の要素であり、その意味で後方支援は武力の行使と一体だというのは、正しい認識です。

しかしそれなら、いま、国連活動でもない米軍等の活動に対して補給すなわち後方支援をやっていることについて、内閣法制局はどんな詭弁を弄しているのか。

アフガンについても、イラクについても同様です。後方支援は武力の行使ではない、戦争するわけではないから問題はない、と自民党政府は言う。

正に、子どもにも通用しない詭弁を弄して、現実に海外派兵を行っているのです。こんないい加減な国が他にあるでしょうか。

私は、日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈しています。

同時に、国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています。


分かりやすく説明します。自衛権は正当防衛と言い換えられます。

確か、英語ではどちらも広くセルフ・デイフェンスと言うと思います。

例えば、お巡りさんは自分自身の正当防衛権(国家では自衛権)に基づいて、銃器を所持し、強制力を行使し、必要な時は武力を使うことが許されているのでしょうか。

そうではありません。それはあくまでも、社会の役割として警察官に与えられた権能であって、警察官個人の正当防衛ではありません。

また例えば、たとえ自分の目の前で殺人が行われても、一般国民はその犯人を殺してはなりません。

それはリンチにほかならず、絶対に許されないことです。


そのことを国際社会に当てはめて考えてみると、よく分かります。

国際社会で合意を得ないまま勝手に武力を行使するのは、リンチでしかありません。

それを認めたら、国際社会の秩序と平和を保つことはできません。

つまり、個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質のものであり、次元が異なるのです。

国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたものです。

したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です。


ちなみに、そのことについて、明確に述べている憲法学者がいます。横田喜三郎さんという東大教授で、のちに最高裁判所長官を務めた方です。

横田さんの著書をお読みいただけば、より明確に理解していただけると思います。

それから貴方は、私がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加の可能性を示唆していると書いていますが、私の主張はそんなあいまいな話ではありません。

国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです。

もちろん、具体的にどんな分野にどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めることです。

しかし、日本政府はこれまで、全て日本国憲法を盾に国連活動への参加を拒否してきました。

私は、まずその姿勢を改めるべきだと、繰り返し主張しているのです。


また、貴方は「集団的自衛権の解釈や海外での武器の使用について、法的な整備が整っていない」と記述しています。

しかし、そのようなことを私の問題点として指摘されるのは、はなはだ理解に苦しみます。

武器の使用も、世界の常識に従うだけのことであり、特に法律制定の問題ではないと思います。

加えて貴方は、「民主党内でも意見がまとまっておらず」と書いていますが、これまた民主党の名誉にかけて強く申し上げておきたい。

貴方は海外にいらっしゃるから、民主党の政策論議の結論をご存知ないのかもしれませんが、昨年末まで2ヵ月余の党内論議の末、先ほど私が述べたような方針(「政権政策の基本方針」第三章)を決定しています。このことは正しく認識しておいていただきたいと思います。
 

第二の指摘については、これ以上言わなくても、もうお分かりだと思いますけれども、テロリズムとの戦いは、米軍の軍事行動に協力することではありません。

実際上は、出入国管理や金融管理から始まっていることであり、あらゆる場面でテロに毅然とした態度をとり続けることが戦いの要諦です。

もちろん、今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。

また、スーダン(ダルフール)については、パン・ギムン国連事務総長がかつてない最大規模のPKO部隊を派遣したいと言っていますが、PKOは完全な形での国連活動ですから、当然、それにも参加すべきだと考えています。


なお、この九月一九日採択されたISAFの任務を延長するための国連決議の前文に、日本政府の働きかけにより、「不朽の自由作戦」への各国の貢献に対する「謝意」が盛り込まれたことについて、政府・与党は「自衛隊の活動が国連のお墨付を得た」と喧伝していますが、不誠実にすぎます。

海上自衛隊の活動はあくまでも、米国の自衛権発動を支援するものであり、国連の枠組みでの行動ではありません。

今回の決議もとうてい、自衛隊派遣の根拠とはなり得ないものです。

我々は米軍活動という枠組みから離れ、ISAFのような明白な国連活動に参加しようと言っているのです。


第三の指摘は、国際社会の同意に基づく国連の活動に積極的に参加すると、「表面上は安保理決議によって認可された多国籍軍である占領部隊への、イラク特措法に基づく自衛隊の協力は問題がないということになってしまう」とのことですが、それは二重の意味で間違いです。

まず、イラク特措法の根拠とされている国連決議一四三号(二〇〇三年五月採択)は、米英主導の治安維持を認めただけであり、多国籍軍の設置をオーソライズしたものでありません。

次に、前述したように、私の主張は、国連の決議に基づいて参加する活動は日本国憲法に抵触しないということですが、合憲なら何でもやるということではありません。

国連の決議があっても、実際に日本がその活動に参加するかしないか、あるいはどの分野にどれだけ参加するかは、その時の政府が総合的に政治判断することです。それは政治のイロハです。


イラク戦争は、米英軍の攻撃によって行われました。国連においては、同盟国であるはずのフランスも反対し、ロシアも反対し、中国も反対した。それにもかかわらず米英の単独行動として始まったのがイラク戦争です。

しかも、戦争の最大の理由だったイラクの大量破壊兵器の保有は事実でなかったことが明白になり、米英両国もそれを認めざるを得なくなるに至り、イラク戦争は大義そのものがなくなってしまいました。


さらに、その後の占領政策の失敗の結果、イラクの社会は混乱を極めています。

だから、米国は自分で勝手に戦争を始めておきながら、国際社会に協力を求めざるを得なくなったのではないでしょうか。

イラク復興に関する一連の国連決議は、そういう経緯で採択されたにすぎません。

仮に、あとになってから出された国連決議で形式は整ったとしても、政治の判断としては、それに自衛隊を派兵することには賛成できません。

米国内においても国民の多数がイラク戦争に反対していることは、貴方も米国にいてお分かりだと思います。


繰り返しますが、日本の国際社会への貢献、特に侵略あるいはテロに対する強制力の行使について、日本はこれまで、憲法を盾にとって一貫して消極姿勢をとってきました。

私は、それは大きな過ちだと考えています。しかし同時に、日本国憲法の理念と第9条の考え方は、変える必要がない、むしろ忠実に実現すべきだと思っています。

したがって、憲法の理念に従って、あらゆる分野で国際貢献を積極的にしていかなければならない、というのが私の結論です。

最後に、もう一つ重要な点を付け加えます。紛争やテロの根底にあるのは貧困という人類の根本問題だ、ということです。

貧困を一つ一つ克服し、人々の生活を安定させることが、何よりも大事なことなのです。


日本国内で「ペシャワールの会」をつくり、年間約3億円の基金を集めて、アフガンで現実に働いている中村哲さんというお医者さんからお話を伺う機会がありました。

医師ですから医療活動をしているのだろうと思っていたら、「いや、医療より前に、まず食うことです」というお答えでした。

自分で井戸を千何百ヵ所か掘ったそうです。

アフガンは本来、食料自給率が90%以上で、自給自足で生活していましたが、戦争と大干ばつで自給率が40%以下に下がり、医者にかかるより先に、まず食べなければ死にそうだという悲惨な状況にある。

だから中村さんも、医療の仕事より、井戸を掘ったり灌漑用水を造ったりするのに一生懸命だそうです。


我々は先の参議院選挙で、「政治とは生活である」「国民の生活が第一」と主張しました。

政治の使命、役割は結局、「民のかまど」を豊かにすることに尽きます。仁徳天皇は、民のかまどから煙が立っていないのを見て、民の困窮を悟って税を免除したと伝えられています。

皇居は朽ち果て、修理する費用もなくなりましたが、国中の家々から煮炊きの煙が再び上がるようになって、仁徳天皇は「私は豊かになった」と語られました。

「天皇の位は、そもそも人々のために作られたもの」という仁徳天皇の言葉にこそ、政治の本質が示されていると、私は思います。

現代社会はもちろん、仁徳天皇の時代とは比べものにならないくらい複雑になっています。

しかし、政治がまず一生懸命に考えなければならないことは、昔も今も、「どうやってみんなが豊かに、幸せに、そして安全に暮らせるようにするか」ということだと思います。


どんなに困難であっても、どんなに時間がかかろうとも、貧困を克服し、生活を安定させることこそが、テロとの戦いの最も有効な方法であると、私は確信しています。

銃剣をもって人を治めることはできません。それが歴史の教訓であり、幾多の戦争の果てにたどり着いた人類の知恵なのです。

二〇〇七年九月二三日

        民主党 代表 小沢 一郎

 2007年 9月23日 民主党代表 小沢一郎

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