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zoom RSS 蓮如・理想郷の建設

<<   作成日時 : 2007/06/22 03:16   >>

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※- 蓮如・理想郷の建設  − NHK・その時、歴史が動いた −

私の場合、蓮如と聞いて思いつくのは「 歎異抄 」 と言えます。

確かに歎異抄は親鸞の教えでありながら、実際には蓮如によって庶民にも理解できる蓮如独自の見解を通して筆書きした書物と言えると思います。今尚、多くの方に読まれています。

歎異抄 」 もそうですが、親鸞の説いた浄土真宗は仏教でありながら、その内容は新約聖書に書かれている イエス・キリストの教えに近いと思うのですが、そう感じるのは私だけでしょうか。

今回の、NHK ・ 「 その時、歴史が動いた 」 ・ 「 乱世の祈り〜蓮如・理想郷の建設へ 」 では、親鸞の教えを実行する蓮如の足跡を追った番組構成になっていた。

番組では室町から戦国時代にかけて蓮如が、浄土真宗の創始者である親鸞の教えを忠実に実行して、民衆救済へとその激動の生涯を描いていた。

蓮如が布教活動をしていた時代、今から 約500年前、室町幕府末期、世の中は乱れ、疫病や凶作のために食料が無く飢餓状態が頻発していた。

その様な状況を憂い、蓮如は戦乱や災害に苦しむ人びとを救い、仏教の教えを基に治める理想郷を築こうとして実践する事になる。

室町時代から戦国時代にかけて、民衆は宗教にすがるが、一部の僧侶は貧しい庶民から民衆救済の名の下に自らの私腹を肥やしていた。

そこで、京にいた蓮如は親鸞の教えを分かり易く説き、民衆と共に歩む姿勢が多くの民衆に広く支持されていった。

しかし、教団が急速に拡大すると、一部の門徒が武装化し暴走を始めた。彼らは蓮如の教えを間違った方向へと解釈して進んだのか・・・?? それとも、多くの信徒を利用して私欲を肥やす輩が紛れ込んだのか・・・?

その様な光景を見つつ蓮如は悲しみながらも、それでも民衆の中に入り親鸞の教えを分かり易い文章に変えて、民衆が念仏を唱える宗教を目指した。

蓮如の布教は、教義を手紙(消息)に書いて分かりやすく説いた。

** −資料から −
『御文(おふみ)』(『御文章(ごぶんしょう)』とも)を中心に行なわれた。のちに蓮如の孫円如がこれを収集して五帖80通(『五帖御文』)にまとめたが、その他にも多くの御文があった。
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応仁の乱後、蓮如は越前吉崎に赴き、7月下旬同所に吉崎御坊を建立する事になる。吉崎は一気に賑わい、信者は奥羽からも集まったとされる。

吉崎に信者が多く集まることで、この地方を管轄する加賀国守護や地元民と摩擦が生じて始め、蓮如は信徒に吉崎への立ち入りを控えるように申し述べたが聞き入れられず、地元ととの軋轢が大きくなった。

そんな折り、加賀を治める守護の間で内紛が起き、蓮如は富樫政親を支援し富樫幸千代を滅ぼした。

しかし、その後も吉崎に集まる信徒が絶えないことから加賀国守護との軋轢が続いた。その後も門徒による色んな問題が起きて蓮如は密かに吉崎を去る。

失望した蓮如は、真に仏法で治める理想郷を目指し、山科本願寺の建立を志、京都の山科に戻ってくる。

山科に坊舎の造営を開始してから五年後に、山科本願寺の落成となる。その後、50年の間、蓮如が描いた仏教の教えを基に治める理想郷が続くことになる。

しかし、50年後に近隣の豪族によって山科の理想郷は消滅することになる。

・蓮如の功績は浄土真宗を中興した、蓮如無くして今日の浄土真宗は存在しなかったとも言えると思いますが・・・皆様は如何お思いでしょうか

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 2007年 6月22日 ”風の道草”

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− 親鸞の教えから −  ( 資料 - Wikipedia )

人が往生出来るのは阿弥陀仏の本願によってであり、この理(ことわり)を信ずること(=信心)によって、往生することができるとし、信心正因称名報恩という。

しかも、この信心も阿弥陀仏から賜ったものであるから、すべてが阿弥陀仏の働きであるとし、これを他力本願( たりきほんがん ) と呼ぶ。

この他力とは阿弥陀仏の働きをさし、一般の単なる「 他人まかせ 」 や 「 太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働き 」という意味でのこの言葉の使用は本来の意味の誤用から転じたものであり、敬虔な浄土真宗信者( 門徒 )の心を傷つけることがある。

「 悪人正機 」 と呼ばれる思想も親鸞独自のものとして知られている。

既に親鸞の師・法然に見られる思想ではあるが、これを教義的に整備したのが親鸞であるともいわれる。

「 歎異抄 」 に 「 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや ( 善人が極楽往生できるのなら、悪人ができないはずが無い ) 」 と有るのは、上記 「 他力本願 」 とも関係する思想であるが、その意味は、

人間は自力で善 ( 往生の手段となる行為 ) を成すことは不可能である。

人間はすべて悪 ( 往生の手段とならない行為 ) しかなせない。

だから、悪人と自覚している人間の方が、自分は善人だと思っている人間より、本願により救われる道を自覚していることになる

という逆説的な表現である


大乗無我思想のひとつの到達点といえる。 さらに、阿弥陀仏に救われている私であるとして、信一念時に、死んで極楽浄土に往生出来る身に定まった現生正定聚 ( げん しょう しょう じょう じゅ ) の身となり喜ぶことを勧めた。

この考え方は法然を超えたもので、浄土宗と浄土真宗の教義上の違いの一つである

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